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19件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2013-04-11 第183回国会 衆議院 憲法審査会 第5号

ただ、ちょっと脇道にそれますけれども、明治憲法下においても一般司法権独立は比較的よく守られてきたと言われており、とりわけ、一八九一年、明治二十四年、明治憲法施行後間もなくして起こったいわゆる大津事件のときの大審院長児島惟謙は、ロシア皇太子に負傷を負わせた犯人に法を曲げて死刑を言い渡すように強く求めた政府に対して抵抗し、当時の刑法規定に従った無期徒刑裁判を可能にした点で、司法権独立を守った護法

橘幸信

2010-10-22 第176回国会 衆議院 法務委員会 第2号

そして、あれはロシア皇太子でしたか、皇太子が来たときに、それを死刑にしろというのを、当時の大審院児島惟謙これが圧力をはねつけたんですよ。その気概明治の方がもっと気概があったんじゃないですか、検察は、司法は。今の……(柳田国務大臣検察じゃないでしょう」と呼ぶ)いや、だけれども、同じあれだから法務大臣に聞いているんだよ。  

平沢勝栄

2010-10-18 第176回国会 参議院 決算委員会 第1号

それで、当時の伊藤博文含め権力者といいますか、これはやっぱり旧刑法に従って大逆罪というか、皇室等に、皇族に対する罪として、要するに死刑に処すべきだという非常に圧力を掛けたんですけれども、児島惟謙大審院判事が、いや、これは、法律はそういうことを、外国皇族であろうが皇太子であろうが、日本皇族というのには想定していないということで、あくまで法に従って粛々とやりますということで、はねつけたんですよ。

丸山和也

2001-10-24 第153回国会 参議院 外交防衛委員会、国土交通委員会、内閣委員会連合審査会 第2号

そのときに児島惟謙、大審院院長児島惟謙が、そうはいいましても、外国皇族を殺害しようとした、未遂に終わった、これを死刑にできる条文はございませんといって政府の要求を断って、司法権独立を保ったといって、今、神様のように言われておる。これもそのとおりなんですけれども。  

佐藤道夫

1993-02-23 第126回国会 衆議院 法務委員会 第1号

ちなみに、私が出た大学建学の祖と言われる児島惟謙昔の大審院長でございますが、例の大津事件ロシア皇太子津田三蔵巡査が襲ったときの裁判、あれについては、皇室に対する行為を罰する法律を適用しろという時の政府からの猛烈な圧力に対して、あくまでもこれは皇室ではなくて、ロシア皇太子といえども刑法上はあくまでも一般傷害罪であるということで処理をした。

中野寛成

1978-09-14 第84回国会 参議院 決算委員会 閉会後第5号

あなた方、児島惟謙湖南事件よく御存じでしょう。あのときに、西郷従道伊藤博文黒田清隆枢密院も、松方内閣のとき、あれは津田三蔵皇太子に対する殺人未遂の罪で罰しようということを裁判所に強制してきたのですね。それがむしろあのときは、何といいますか、政府の国策だったわけですね。内閣枢密院、いずれも皆一致してそういう結論になった。

寺田熊雄

1973-11-13 第71回国会 衆議院 決算委員会 第28号

私はそのために児島惟謙の例まで言ったのですから……。民族の将来の問題ですよ。一体あなたは睾丸あるのかね。がんばってくださいよ。ほんとうに私は、だてや酔狂でこんなところで質問しているわけじゃないのですから。日本の主権が侵されているじゃないですか。こんなひどい目にあわされておって、なおかつしっぽを振っていかなければならない理由は一体どこにあるのですか。  

小林進

1970-11-13 第63回国会 衆議院 法務委員会 第32号

先ほど児島惟謙先生の例を引かれて高橋委員長が話をされましたけれども、一面からいけば、児島惟謙先生の場合も、正義を権力より守れ、そういう叫びであったと私は記憶しているわけです。そうした裁判所の姿勢というものが今回、また最近の傾向として次第になくなりつつあるのではないか、そういう心配なんです。

林孝矩

1970-11-13 第63回国会 衆議院 法務委員会 第32号

明治の初年に児島惟謙先生というわれわれの郷里の大先輩護法の神ということになっておりますが、この人は最高裁判所、その当時の大審院院長で、例の大津事件に対していろいろ直接審理する裁判官等に、指示といいまするか、指示勧告、あらゆる手を通じて、あらゆる手段、方法をもって児島惟謙先生の意見に同調さしたというふうなことが歴史に炳乎として残っておって、それがいわゆる護憲の神というふうなことになり、護法の神さまということになっておるのですが

高橋英吉

1968-03-28 第58回国会 参議院 法務委員会 第7号

最高裁判所長官代理者寺田治郎君) 法曹会というのは、たしか明治二十四、五年ごろに、有名な児島惟謙大審院長のときにつくりましたものが、たしか明治の終わりごろに財団法人という形になったわけでございます。そして、これは財団でございますから、会員ということではございませんが、事実上は会員のようなものがございます。

寺田治郎

1968-03-11 第58回国会 衆議院 予算委員会 第16号

したがって、そういう立場から、最後に私が申し上げたいことは、ひとつ警察官も検察陣も卑屈な気持ちを持ってもらわないように、それから裁判所も当然この点につきましては自主的な立場処理をされると思いますが、かつて児島惟謙精神を忘れないように、そして被害者を出しております防衛庁におきましては、長官並びに防衛庁自衛隊員の誇りを傷つけるようなことをしてもらわないように、ひとつ日本国政府はしっかりしてもらいたいと

折小野良一

1960-04-05 第34回国会 衆議院 日米安全保障条約等特別委員会 第12号

ところが、時の大審院長児島惟謙は敢然としてこれをけって、正しい法律の解釈と適用をして、法治国としての面目を維持したのであります。ところが今日の政府は、憲法違反の既成事実を作り上げて、アメリカにこびておるのじゃありませんか。国民にのみ法の順守をしい、政府みずからは法を守らず、法の権威を失墜せしめているのが、私は現状じゃないかと思う。

大貫大八

1958-03-13 第28回国会 衆議院 法務委員会 第13号

今最高裁へ行っても、児島惟謙先生胸像がありますか。見当らない。どうしてあれがなくなってしまったんだ。日本司法伝統裁判伝統は、われわれの先輩児島惟謙あり、あくまでも政府干渉、一切の干渉を排して、われわれは司法の神聖、独立を守っていくのだという牢固たる権威と自信があったのです、裁判所の中に。

三田村武夫

1952-05-21 第13回国会 衆議院 法務委員会 第55号

今日日本裁判史上においてあの児島惟謙という裁判官さん然として光つているのは、ロシア皇太子に危害を加えようとした日本国民に対して、時の政府がこの国際的な問題に非常な卑屈な態度をとつて刑法規定のないような処罰を裁判所に要求したときに、この時の政治権力に毅然として抵抗いたしまして、裁判独立従つて法律を守り、国民の権利を守るという態度を貫徹したことの中に、この児島推謙裁判官に対する国民の信頼と

梨木作次郎

1951-03-23 第10回国会 衆議院 法務委員会 第13号

大橋さんは法務総裁ですから言うのですが、昔児島惟謙大審院長をしていて、大津事件のときに、ずいぶん保守的な気持であつたかもしれぬが、皇子と皇帝とは違うということで、やはりそれなりに日本人らしい毅然たる裁判をやつて護法の神と言われたことを、今思い出す必要があると思うのです。その爪のあかを薬にされることをここにお勧めするわけなのであります。

加藤充

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